芦原中国への天つ神(高天原にいる神様)派遣は最終局面。
ついに現れたのは、タケミカヅチ。
タケミカズチは、イザナキが妻の死因となったカグツチ(火の神)を切り殺した際、刀の根元についていた血が飛び散って生まれた神様です。
タケミカヅチは、出雲にある稲佐の浜に降り立ち、波の上に十掬剣(とつかのつるぎ)を逆さまに立て、その上にあぐらを組んで座ります。
そしてオオクニヌシに
「アマテラスの命により、あなたに聞くね。
あなたが『うしはける』芦原中国(あしはらなかつくに)は、
アマテラスの御子が『知らす』国だと思うんだけど、
あなたはどう思う??」
「うしはく」と「しらす」
大事な考え方なので、『うしはく』と『知らす』の違いについて書きます。
『うしはく』=領有する。
これは、いわゆる政治の権力的なものです。将軍とか、総理大臣とかがそうです。
日本ではあくまで、『うしはく』者は、天皇の命によりその政治的権力を行使します。
しかし世界的にみると、前政権を撃ち倒して別の国が興る、みたいなやり方が歴史上ほとんどの国でなされています。
易姓革命など、まさにこれ。
このやりかたは、『うしはく』です。
一方『知らす』=『治める』。
これは、高天原でアマテラスが行っている統治のやり方です。
つまり、アマテラスがいらっしゃることで自然と神々が統合されますし、
アマテラスも神々に広く耳を傾けます。
イカヅチが伝えたアマテラスの言葉には、
1)オオクニヌシは芦原中国を『うしはく』者であり、『知らす』者ではない。
2)『知らす』のはアマテラスである。
という意味が含まれます。
実はこの考え方が、日本を2680年続く国として存続させてきた大事な思想。
アマテラスの直系の子孫である天皇陛下が『知らす』国であり、天皇陛下は広く国民の声を聞き、独善的にはならず、国民の安寧と国の平穏を、ただただ祈り続ける。
『うしはく』者(総理大臣など)は天皇陛下の任命によりその責務をまっとうする。
この、『うしはく』と『知らす』のバランスが優れていたからこそ、日本は世界最長の歴史を紡ぎ続けることができているのだと思います。
国譲り
タケミカヅチからアマテラスの言葉を聞いたオオクニヌシ。
「私からは特にないんですけど、息子に聞いてもらっていいですか?」
釣りに行っていた息子1(コトシロヌシ)は、
「かしこまりました!僕的には大丈夫です!」
と言い、釣り船を傾け、その船を青柴垣(あおふしがき=古代の漁具の一種)に変え、その中に隠れてしまいました。
そこへやってきた息子2(タケミナカタ)。
「誰だい、うちの国にやってきて勝手言ってるのは!?
俺様が力比べしてやろうじゃないか!!」
大きな岩を指先で弄びながら、タケミカヅチを挑発します。
しかしタケミカヅチはめっぽう強く、タケミナカタはあっさりと投げ飛ばされました。
「やべーぞ!逃げろーー!!」
逃げ出すタケミナカタ。
追うタケミカヅチ。
長野県の諏訪湖に追い詰められたタケミナカタは、
「僕もうこの地からでません!
反抗もしません!
アマテラス様にこの国を献上します!!」
と言って降参しました。
(ちなみにタケミナカタはそのまま諏訪に止まり、諏訪大社に祭られています。)
出雲大社
オオクニヌシは、ついに国譲りを決断します。
そのかわり、大空高くそびえる神殿を建てて、出雲の地で暮らすことをお願いしました。
タケミカヅチからの報告を受けたアマテラス。
オオクニヌシの国づくりの大業に感謝し、
「これから後、この世の目に見える世界の政治は私の子孫があたることとしましょう。
オオクニヌシは目に見えない「むすび」の力によって人々の幸せを導いて下さい。
出雲の社は高天原の私の住居と同じように、柱は高く太い木を用い、板は厚く広くして築きましょう。」
と言いました。
そこで建てられたのが、出雲大社。
現在の境内から発見された巨大な柱を元にした復元モデルでは、
古代の社はなんと、地上48mもあったとのこと。
今でも出雲は、縁結びの神様として信仰されています。
いいとこです、出雲。
アマテラスを祭る伊勢とはまた違った、神様との距離感。
毎年神無月(10月)には、八百万の神様が出雲に集まり、縁結びの相談をするそうです。
(だから出雲では10月=神有月)
いよいよアマテラスの子孫が統べることになった芦原中国。
ついに高天原から神々が降りきます。
天孫降臨!!!
舞台は…宮崎!!!
ではまた次回。
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